「動物記」とは何か

 「動物記」といえば、シートンの作品とだれもが知っている。では、シートンが自分の作品を「動物記」と呼んでいたかというと、そうではない。シートンが最初に刊行した動物物語の単行本は『私が知っている野生動物』(1898年)である。

 表題のとおり、シートンが親しく知った野生動物のくらしと個性を描いた「オオカミ王 ロボ」や「ワタオウサギの ラグ」などの作品がおさめられていた。つぎに刊行された単行本は「サンドヒルのシカ スタッグ」である。「動物記」という表題は見当たらない。すなわち、「動物記」とは、日本独特のシートン作品の呼び方である。

 では、どのような経緯があって、「動物記」という通称がつけられたのか、史実にあたってみよう。


日本最初の紹介者

雑誌「動物文學」  内山賢次氏

 日本でシートンの動物物語が初めて紹介されたのは、昭和10年(1935年)平岩米吉氏が主宰する雑誌『動物文學』誌上であった。物語「ロボー」を訳出したのは、内山賢次氏。内山氏は、同誌でさらに、‘Wild Animals I Have Known(わたしが知っている野生動物)’の中から、五篇を訳出し、読者からは熱い反応が寄せられた。

 内山氏は精力的に翻訳をすすめ、昭和12年(1937年)6月から昭和13年(1938年)12 月にかけて、白揚社から六巻の単行本、『動物記』が出版された。一冊、一円五十銭。これは大好評を博したため、昭和14年(1939年)から昭和15年(1940年)にかけて、日本画家、福田豊四郎氏の装丁による、新たに組み替えた、四巻本の『動物記』が出版されることとなった。値段は一冊、二円五十銭。

 初版本のタイトルは「シートン著 動物記」と、左から右に書かれているが、二年後の改訂版四巻のほうは、「記物動」と右から左に書かれている。


初版「動物記」(1937〜38年)

「動物記」初版(1937年)

 昭和12年の初版本のとびらをめくると、まず、こんな平岩米吉氏の文章から始まっている。

動物文學小感     平岩米吉

 人が動物に對して興味を感ずると云ふのは、次の二つのことから成り立っていると思ふ。その一は、ともに、同じ地上に生を受け、同じ條件のもとに棲息していると云ふ親和の感であり、他の一は、同じ生きものながら、その生活の様式を異にするための未知のものへの好奇の念である。若し、動物の生存の機構が我々のそれとは全く共通點のないものであったなら、我々の動物に對する関心は単なる探求にとどまり、決して友愛の情を伴ふことはないであらうし、同時に、動物の生活が我々のそれと全然同じやうなものであったなら、これまた特殊の興味を喚起するには至らないであらう。同類であり、しかも、その生態を異にすると云ふ點に、人の動物に對する切実なる興味はつながれているのである。

 而して、かう云ふ関心を多少とも動物に對して持たぬ人と云ふのは殆どないのであるから、従って、動物を對象とせる文學に對する欲求乃至興味も、また決して偏頻なものではなく、當然普遍的なものと言はなければならないのである。

 然るに、実際に於ては、動物を對象とせる文學は極めて特殊のものの如く取扱はれ、且つ、実質的にも頗る寥寂の感の深いのは、主としてこれを生み出す作者に對して重大な條件が要求され、しかも、その條件に適應することが甚だ困難なために外ならぬのである。

 即ち、動物文學を生むためには、一方に確實なる科學的知識を蔵するとともに、一方に豊富なる文學的才能を有することを絶對の必要とし、その上、つぶさに動物の生活に親炙して、その心理、生態を熟知せねばならぬのであるから、尋常一様の學者或は作者には到底企畫し得べくもないのである。興味の普遍的なるに反し、その制作には、驚くべき過重の負擔が課せられているものと言はなければならぬ。

 ところが、ここに不思議なる一人物があって、宛然、動物文學を生むために現はれて来たかの如く、是等、至難なる諸條件を一身に具現し、見事に、科學と文學との両地域を融合して、従来、独立せる文學としては餘りに生硬未熟の感のあったものを、一挙に渾然たる作品として示すことに成功したのである。即ち、科學者であり、作者であり、また畫家であるところのカナダの自然人アーネスト・トムスン・シートンであって、ここに始めて、人々の動物に對する興味と欲求とは健全なる文學の形式を以て答へられたのである。

 シートンの業績は真に畫期的なものであり、その社會的反響も華々しいものであったのであるが不幸にして本邦に於いては、最近までその片鱗すら紹介されずにいた。

 私はかねてシートン並びにリビンコットの紹介を、本邦の動物文學開發のために最緊要事の一つとして考えていたところ、頃日、はからずも名譯家内山賢次氏が熱意を傾けて前者の譯出に努力せられるを知り、欣然、主宰するところの小誌「動物文學」へ掲出を求めたのであった。それは‘Wild Animals I have known’の一部分であったが、その後、氏の原作者への傾倒は更に真劍味を加へ、遂に同著の全部を譯了して、ここに本書を上梓する運びとなったのである。

 これは、まさしく、この種のものに對して、久しく無關心の状態であった我が讀書会に一つの炬火を點じたものと言ふべきで、これによって、翕然、識者の視聴を集め、以て、動物文學勃興の機運を誘致するであらうことは、あまりに明白な事實と考へられるのである。  (昭和十二年五月・白日荘にて)

(註:平岩米吉 1898〜1986 作家。1933年雑誌「動物文學」を創刊。動物文学会を主宰した。)

 次に訳者の内山賢次氏が、「作者の紹介その他」を書いている。シートンの紹介部分は省略し、後半の出版に至る事情のところを引用しよう。

作者の紹介その他         内山賢次

(前略)

 私は十数年前からシートンの作品の面白さに心牽かれていたが、他の方面の関心に妨げられて、そのままに棄て置いた。一昨年ふとした機會から求められて、平岩米吉氏の主宰する「動物文學」誌上に、本巻に収めた「ロボー」を譯載した。これが平岩氏の瞠目するところとなった。平岩氏は、誰も知る通り、犬科動物、殊に狼の研究にかけてはこの國随一の権威である。この権威者の説によると、シートンの狼の生態描写は驚くべきまでに科學的に精確の由で、これに較べると、ジャック・ロンドンの「ホワイト・ファング」などものの數ではないといふ。爾後、平岩氏に促されて、本書に収めた作品八篇のうち、六篇までを一年半にわたって「動物文學」誌上に連載した。同じ作業のものをよく飽かれもせず、却って動物生態の研究に深い関心をもつ方々から望外な好意を寄せられた。それはシートンの作品のもつ価値故で、拙い譯者としては、聊か面映い次第であった。

 本書は、前述の「私の知っていた野生動物」の全譯に「サンドヒル牡鹿の足跡」を収めた。原著の標題は聊か邦譯書の標題に採り難いのと、シートンの作品を何巻か纏めて出したい所存から「動物記」なる通巻標題を附したのである。

(後略)            (一九三七年五月八日)

(註:内山賢次 1889〜1971 翻訳家。ダーウィン、トルストイ、シートンなどの著作を翻訳。)

 内山氏は、ここで「動物記」という標題をつけた理由について触れている。

また、第三巻の「訳者のはしがき」(1938年1月)の末尾近くで、さらに下記のように語っている。

「シートンの全著作は数十巻に余るが、いまこれを全部手に入れることは極めて困難である。私はこの困難を乗り越えるためにシートン翁と数回文書の往復を重ねたが、翁からお前の挙げる書目には《自分の必生の力作『猟動物の生活』Lives of Game Animalsがあげてない》という注意を受けた」

「(私が)動物記なる通巻表題を附したのは、ひそかにそれらの力作を包括せしめたい意図からであったが、何分大作『猟動物の生活』は四十ドルの高価というのに、いささか垂涎の二の足を踏んでいたのである。幸い、白揚社主 中村徳二郎氏の協力を得て、先般注文、近く到着の予定である」

 このことから内山氏は、シートンの「動物記」のなかに、シートンからの手紙にあった『狩猟獣の生活(Lives of Game Animals)』を加えて完成させたい希望があったことが読み取れる。


改訂版「動物記」(1939〜40年)

「動物記」改訂版(1939年)箱   表紙(装丁:福田豊四郎)

第一巻に、内山氏の「改訂版について」という文章が加えられている。

改訂版について         内山賢次

「動物記」第一巻は度々の増刷のため、紙型が摩滅してしまって用をたさなく、組み直さなければならなくなった。それを機會に組版の態裁も第二巻以後のと同様に改め、不備の點や文章の調子をできるだけ推敲した。

 同時に、書店の希望に応じて、全六巻を四巻に編み直した。もともと「動物記」はさまざまな形式ででた原本を譯して編んだものなので、挿畫等の様式に多少統一を欠く遺みがなくなかった。さういふ點は改訂四巻では相當補はれたかと思ふ。

 さういふ事情から、初版第一巻に収めた「サンドヒル牡鹿の足跡」は改訂第一巻から省き、代わりに初版第三巻の「灰色熊の生涯」を収めた。

 初版の序文はこの本の出来た顛末を記念したいので、多少の補筆をしてそのまま附しておくことにした。

 なほ巻頭にかかげたシートン翁の肖像は、譯者の懇望によってシートン翁から贈られたものである。初版第六巻に附したが、改版に際して、これも第一巻に掲げることにした。  (一九三九年一〇月五日)


「シートン動物記」の反響

「動物記」内容見本

「動物記」内容見本のパンフレット(1939年 白揚社)には、本の感想、推薦の言葉などが書き綴られている。そのなかから、二つを紹介する。

待望の書      村岡花子

 文学に深い造詣を持っているカナダ人で日本を愛し、長らく日本に住んでいた老婦人から私は屡々シートンの動物記について聞いていた。「私の知った野生動物」の名著こそは日本の少年少女に贈り得る最上のものの一つであると、あの老女史は力説した。それだのに、私は遂にこの名著を読まずして今日に至った・・・そして今、思ひがけなくも内山賢次氏の翻訳に依ってこれに親しむことが出来たのだ。動物記第一巻が即ちそれである。私は全く感心してしまった。これは実に面白い書物である。学校の教科書なら面白くあらうとなからうと、読むことが義務だけれども、課外の読物としては面白い事は確かに重要な条件の一つである。殊に科学的のものは、面白さで先づ惹きつけられなければ、中々読めるものではない。その点から言っても、女学生、中学生に聊かの遠慮もなく推薦出来る。動物の生活に理解を持ち、愛を感じ得るといふ事が、人間の生活をどれ程に豊富にするかといふ事実は、この動物記を読む者が等しく自分の裡に発見する結果である。

 内山賢次氏の翻訳について言ふことを許されるならば、私は氏の数ある翻訳書の中でもこの「動物記」には殊に妙味を感じたのである。

(村岡花子/1893〜1968 児童文学者、翻訳家。マーク・トウェインの『王子と乞食』モンゴメリの『赤毛のアン』など多くの訳書がある。)

「動物記」に寄せて       石田アヤ

 内山さんの「動物記」の第一巻を手にしたのは一昨年の夏、軽井澤の小屋でだった。鴉の銀の星の話や狼のロボーが罠と太刀打ちする驚くべき話、可愛いぎざ耳坊主の話などのある巻である。中學校に居た弟も黙って夢中になって讀んだし小學校の妹もこの本の上に屈み込んで居るのが見られた。夏の終に何処を探してもこの本が見附からなくなったので、方々見た揚句に女中部屋を覗いたら、ちゃんと棚の上に他の二三冊の本と一緒に並んで居た。この女中は何でも黙って持って行く癖があって時々私達を面喰はせたのだったが、「動物記」をここで見附けた事は意外であり、又この本の魅力の範囲の広さに感心して了った。子供の時から「黒馬物語(ブラック・ビューティー)」や「フランダースの犬」やジャック・ロンドンの狼の話等を好んで讀んだがこの本の中に出て来る動物達の様に動物らしく生々とその生態が描かれて居て、しかもこんなにエキサイティングなのは初めてだった。足跡の図や鳴声の音符まで附いている。著者シートンの初期の作品の集ったものが‘Wild Animals I have Known’と題されているが、それが示す様にシートンは親しく個人的に知り合ひになった動物達の事を謂ゆる人物として描いている、丁度小説家がその周囲の人達をモデルに色々な人物を描く様に。人間としてこれ以上は希めないと思へる程の理解と同情とを種々の動物達に對してその一個々々の人格を尊重しているこの著者の愛情に溢れた態度が「動物記」六巻を通じての限りない魅力となって居るのだと思ふ。

(石田アヤ/1908〜1988 文化学院の創設者、西村伊作の長女。アメリカに留学後、英語科の教鞭をとり、1963年から1988年まで校長を務める)


大人が楽しんだ「動物記」

 こうして、紹介当時に大人を興奮させた「動物記」のことを知ると、ある驚きを感じる。さて、日本ではその後どうなっていくのか・・・続きはまた。

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